銀閣寺の同仁斎、待庵、如庵、密庵。現存する建物と文化財の解説を手がかりに、茶室がどう生まれ、どう受け継がれてきたかをたどります。
茶室は、はじめから「茶室」として生まれたわけではありません。今に残る建物と、文化庁などの公式な解説を手がかりに、その歩みを順にたどってみます。
【室町時代 — 四畳半の書斎】 京都・慈照寺(銀閣寺)の東求堂は、足利義政の東山殿に1485年に建てられた持仏堂兼書斎です。その背面東側にある四畳半の部屋「同仁斎」に設けられた付書院と違棚は現存する最古のもので、書院造の源流と位置づけられています。観光庁の解説は、同仁斎を現存する最古の四畳半書院造とし、小さな茶室の先駆けとも紹介しています。
【桃山時代 — 二畳の草庵】 京都府大山崎町の妙喜庵にある「待庵」は、天正年間(1573〜92年)頃に千利休の好みとして造られたと伝わる茶室です。茶室はわずか二畳で、洞床の床の間を備え、一畳の板畳が付いた次の間と勝手の間が続きます。文化庁の解説は、狭い室内を天井や窓の扱いで巧みに処理した初期茶室の遺構として貴重だとし、後世しばしば写しが作られたことにも触れています。国宝です。
【江戸時代のはじめ — 工夫の茶室】 織田信長の弟・織田有楽斎が京都の建仁寺に創建した「如庵」は、二畳半台目の茶室です。床脇にウロコ板を入れて斜めの壁をつくる構えから「筋違いの囲」と呼ばれ、古暦を腰張りにした暦張りや、竹を詰め打ちにした有楽窓など、随所に独創的な工夫があります。昭和11年(1936年)に国宝に指定されました。
【江戸時代前期 — 書院風の茶室】 大徳寺龍光院の書院に組み込まれた「密庵席」は寛永年間(1624〜43年)の茶室で、小堀遠州の好みと伝えられる四畳半台目の、やや書院風の席です。床の間が二つあり、一方に密庵咸傑の書を、もう一方に利休の添状を掛けます。文化庁は江戸時代前期の茶室を代表する遺構としています。待庵・如庵・密庵の三つは、現存する国宝の茶席として並び称されます。
【茶室は動く】 茶室の歴史のもう一つの特徴は、建物がしばしば移されることです。如庵は各地を転々としたのち、昭和47年(1972年)に名古屋鉄道によって愛知県犬山市の犬山城の東へ移されました。東京国立博物館の庭園にある「転合庵」は、小堀遠州が京都伏見の六地蔵に建てたと伝わる茶室で、大原の寂光院、東京・麻布を経て、昭和38年(1963年)に寄贈されて上野に建っています。同じ庭の「九条館」も、京都御所内の九条邸から赤坂を経て昭和9年(1934年)に移されたものです。
【いまに残す仕事】 名席が残っているのは、修理と移築を担う大工の仕事があってこそです。京都府向日市の安井杢工務店は、公式サイトの建築実績に、如庵の犬山への移築(1971年)や待庵の保存修理(1977年)を掲げています。茶室をつくる会社を選ぶときには、こうした修理の仕事も、その会社の確かさを知る手がかりになります。
【出典】 慈照寺(文化庁 世界遺産推薦書)https://online.bunka.go.jp/suisensyo/kyoto/MAINTEXT/3b-N-j.html / 東求堂・同仁斎(観光庁 多言語解説文データベース)https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R1-00459.html / 妙喜庵茶室(待庵)(文化遺産オンライン)https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200949 / 有楽苑について(名古屋鉄道)https://www.meitetsu.co.jp/urakuen/guide/index.html / 龍光院書院(文化庁 国指定文化財等データベース)https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1592 / 庭園・茶室(東京国立博物館)https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=121 / 建築実績(安井杢工務店)https://www.yasuimoku.co.jp/
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